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「中津川に住もう!」
中津川に住もうスタッフ 2025年2月6日 木曜日
2024年9月21日
地震から数ヶ月、まだまだ復旧さえしていなかった故郷。
少しずつ立ち直ろうと、頑張ろうと。
やっと片付けて新しく揃えただろう物。前を向く気持ち。
「なんで?」
「自分たちが何をした?」
「令和6年奥能登豪雨」また災害が突然あまりにも酷く故郷に来た。
そうです「二重災害」が起きたのです。
こんにちは、4回にわたり綴って来ました災害のブログ今回で最後となります。
本当に伝わるのだろうか、意味があるのだろうか、そんな想いで書いている
中津川市移住サポーター大畑です。
前回のブログでも載せましたが泥水が押し寄せる我が実家です。
「床上浸水600mm~1000mm」
お向かいの方が撮っていました。お向かいの方の家が右に写っています、倉庫が浮いています。
買ったばかりの車は救いだせず水没していました。
これは報道番組から。近所の方の家です、まだ建てて6年くらいしか経ってないとお聞きしました。
数日経った氾濫した「若山川」です。この川が氾濫し、あたり一面を泥水が覆ったのです。
地震の影響でもろくなった護岸、各箇所で護岸が崩れていてその復旧がまだの中豪雨が。
削られている様子がわかるかと思います、そのすぐ側の我が実家が左上に見えます。
近隣の方が口を揃えて言うのが「地震より酷い」
我が実家も地震被害はありましたが、片付けたら何とかなるもの、まだ使える家電製品
床はまだまだ使える。「よし、こんだけ直せば大丈夫」ってやれましたが、
それ全部です。家具、家電、床、泥水につかった壁、全てがダメです。本当に全部なのです。
僕の場合は、今までやってきてやっと直した床、壁、調達した材料、工具、道具それ全てが。
最初に現地入りしたのは、二日後でした。
当時は精神的にもきつく、一人で行くと家族も心配すると思い、僕のつながりで川上に移住した方に助けてと。
快く同行してくれました。「来て良かった」「見れて、経験できましたありがとう」そう言ってくれました。
まずはどうなっているのか、今後何が必要か、きっとこれだけは必要だと思ったものを車に積み。
自分で言うのもあれですが、的確で迅速な判断だったと思っています。
地震を経験していたからでしょうか。
故郷の姿を見て、さすがに、こたえました。目を疑いました。
一人実家にいた母は、土曜日ということもあり、近所の方が一緒に車で避難してくれました。
もう水が膝近くまで来ていたそうで、あっという間だったそうです。
最終的には、母の首くらいまでの泥水が押し寄せました。
命は助かりました。
現地入りした夜、天気が回復して星空が綺麗それだけが救いの夜
声をあげて泣きました。それから1週間ほど夜になると泣いていました。
その横の国道を、被害が甚大な山の方に全国からの数十台もの緊急車両と自衛隊の車列が。
またあの日に逆戻りです。あの日以上にです。
水害は時間との戦いです。
ありとあらゆる所に入り込んだ汚泥、汚物や色んなものが混ざる悪臭漂う汚泥を掻き出さなければなりません。
そして洗う、拭く、乾かす、消毒する。
家の中だけではありません、庭、水路、など。誰もやってはくれません。
この作業が想像を絶します。
厳しい冬までには、ここまでやらなければ、長い長い、しかし時間との戦いが始まりました。
「マイナスから最低でもゼロに戻す戦いです」
そして一旦中津川に戻り、あるとあらゆる物を用意し、手配し、また二日後に故郷へと。
その時に川上の同地区の方に、タオルの支援をお願いし、たくさんのタオル本当にありがとうございました。
ここで、もしそういった支援依頼を受けた場合には。
こんなこと言ったら「せっかくあげたのに」とか言われてしまうかもですが。言います。
●現地を見て確認した人から言われた物を忠実に用意してください。
●被災地は果てしないゴミを片付けているんです、それ以上ゴミを持ち込まないためにも。
●新品のタオルはありがたいのですが、袋やタグをとってあげてください。すぐ使えるように分かりやすいように。
●余計な事を言わない、負担をかけないであげてください。
わが実家被害直後。
これは車庫。このペースト状の泥、スコップですくえると思いますか?
想像以上に重い、どうぞやってみてください。
玄関。リフォーム材料が散乱しています。
和室。畳は浮き、物は散乱。こうなってしまうと全てゴミです。
水を含んだゴミです。
前回載せたリフォームしたばかりの和室です。
下の写真、被害状況を記録します。
前回お話した「罹災証明」の為と、伝える為。
我が妹です。この後しばらく毎週嫁ぎ先の加賀地方から通うことになります。
地震からの数ヶ月後の豪雨。家族も壊れてしまいそうになります。
「フラッシュバック」
「金銭的不安」
「故郷をどうするか」
「疲労の蓄積」
僕の強い思いが先走ってしまい、実家の家族に嫌な思いをさせてしまったかもしれません。
少しずつ、少しずつ家族に歪みが生まれてきてました。
作業初日にキャンプ宿のゲストさんが支援に来てくれたんです。
「行きます」と連絡が来て、「大丈夫です全て自己責任で行きます」と。
道具まで揃えて、僕より早く来て、余計な事を言わずただ黙々と泥を出す作業を。
後で聞いた話し、過去にも災害現場にボランティア行ってたそうです。
本当に感謝です。
そして我が地区中津川川上からも、仲良くしているあの方も。
大工仕事を1日やってくれました。感謝です。
床下に溜まった汚泥が見えて取れます。
今回の豪雨災害、地震の時は、ここよりもっと酷いとこがあると思い、
家族でやって、あとは一人でやるって思っていましたが。
今回だけは、助けを求めることとしました。さすがにきつい。
いわゆる公式「災害ボランティア」さんです。
全国から来ている方々。救われた、本当に救われた。
この大量の災害ゴミも、家族で外に出しボランティアさんに搬出してもらいます。
ここは、実家の隣の空き地に作業初日に設営した僕の拠点。
ボランティアさんの休憩場所も兼ねて。
ここで、10日間泊まり込みで作業、数日中津川に戻ってまた来るの日々を送りました。
楽しくないキャンプ生活。
けどお隣さんと泣きながら夜まで飲んだのもここです。
ちなみに、母は避難所にいます。
作業は、家は、壁床などを解体して災害ゴミ置場に運ぶ。
泥を出し、水で洗う、拭き取る。乾燥させる。
使えるものも洗う。
そして近隣の人の為にできることをやると決めました。
僕は本当の「被災者」ではない。中津川に家も家族もいる。
できる限りのものを揃えて、支援して欲しいものないかと聞かれたら遠慮なく言うことにしました。
■重機(ユンボ)ショベルカー
■大型発電機
■倉庫
■オペレーターとユンボもう1台
■高圧洗浄機
近所の水路が埋まっている、その先の川への排水口も埋まっている。
開通させました。喜んでもらえましたし、少しでも余計な不安を取り除いてあげたい。
その一心でこの先もできること、実家の作業の合間を縫ってやったのだと思います。
ちなみにユンボは元々使えます。
実家の方も少しずつ。冷蔵庫もちろんダメです。
ゴミを出し終えて、あとは解体となると。
僕の孤独な戦いとなります。
ボランティアさんは、家をかまうことは出来ません。してはいけないのです。
専門業者に頼むか、自力でやるしかありません。
解体して、ボランティアさんに運んでもらう。そして掃除。その繰り返し。
ややこしい場所は全て自分でやりました。
黙々とゼロに戻していく作業です。
もう床が腐り始めていました。ボロボロと。
あるとあらゆる所に汚泥です
約2ヶ月後。
ようやくゼロへと近づきました。
怒涛の2ヶ月
よく言われます。
「大変だったですね」「少しは落ち着きましたか」
いいえこれからが大変なんです。
これからが復興なんです。
周りのみんなが、もう関心ないのもしょうがない。
たまに見る報道や動画サイトでわかったように感じないでください。
一度能登を実際に見に来てください。
信じられない光景が、現実が、未だ広がっています。
震えることと思います。
どうかそう感じてください。
皆さんの地域の方に伝えてください。
本当の防災を考えてください。
中津川市の関係者の方々へ
どうぞ僕を利用して下さい。
このような体験、これから僕がやろうとしていること。
そんな人がいますか?
ここ中津川に僕はいます、どうぞ利用してください。
防災意識は、感じないと生まれてはこないのです。
それでも人は忘れる。
「僕は決してあきらめない」
「転んでもただで起きるわけにはいかない」
2025年が平和で穏やかな年となりますように。
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