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「中津川に住もう!」
中津川に住もうスタッフ 2025年2月1日 土曜日
こんにちは、能登は珠洲市生まれ、愛知県に就職その後ディスプレイ業で独立。
現在中津川市川上に「拠点」を置く、なんでもやれますサポーターの大畑です。
今回も能登の災害のこと、地震からの家の再建のお話です。
一瞬で何もかも壊れ、変わってしまった。
子供達も巣立ち余生をこの家でと高齢化の家、まだまだローンが残る家、
家だけでなく職場も被災し仕事も失った方の家、続けることができなくなった農業、漁業の方の家、
中々再建に踏み出せず能登を後にする人々。
誰を責めることもできず、誰もその人たちを責められません。
しょうがない。。あの状況を目にしたら。
そして地震後住んでいた場所が危険地帯となり、その場所で再建ができない。
1年以上経ってもライフラインが復旧していない地域もあります。そこは元々限界集落。
後回しです、何なら復旧させるつもりはないのです。
「建築基準法」道幅4メートル以上の道路と接道されていない家。
全国どこにでもあるそんな住宅。ポツンと一軒家。古民家。
再建築は不可能です。
様々な理由で能登珠洲市からの人口流出が続きます。
そんなことが突然起こります。
移住田舎暮らしをしたい皆さんも、その地域、土地をよく調べて、想像して選んでくださいね。
前回最後にお話した「罹災証明」
これは、家などが災害によってどれだけの被害を受けたかを自治体が査定して
言い方が悪いかもですが、ランク付けするということ。
それに基づいて、市県国からの給付金や補助金、皆様からの義援金が被災者に送られます。
また貸付、融資なども受けられます。
「阪神淡路大震災」後にできたものだと思います。
逆に言えば、「阪神淡路大震災」ではこのシステムはなかったのです。
一部損壊、準半壊、半壊、中規模半壊、大規模半壊、全壊に分けられます。
そして我が実家は「準半壊」でした。
屋根瓦が崩れ落ち、雨漏りが激しく、壁は剥がれ、家は傾き台車も転がり、基礎には割れ目、地割れ。
各箇所に見つかる柱、梁のズレ。根本的に直さないと。
それでも判定は「準半壊」
準半壊という判定ですと、ほとんど支援給付金はありません。
「応急修理」という緊急修理のための上限30万程度の補助金くらいでした。
恥ずかしながら、全部頼んで直してもらう金銭的余裕がある実家ではありません。
リノベーション、リフォームを生業として、現在の住まいと宿を6年かけてセルフリノベーションした。
この僕が「建築屋」として再建するしかないと覚悟を決めました。
そして片道6時間をかけての中津川からの再建がスタート。
そして、ただ再建するだけでなく、故郷のためにも未来を作らなければならないと。
その為にも、ここで商売をする。それも実家の母や周りのおじいちゃん、おばあちゃんとともにやる。
里山古民家CAMP宿KOHARU姉妹店の「里山CAMP OBAの宿〜よばれ〜」です!
元々実家ではありますが、ここ中津川との「2拠点」がまた始まりました。
自分しかできないと。
その決意で。実家前の設置した看板が以前載せたこれです。
中津川の「六斎市」で描かれたある画家さんのライブペイント作品とともに。
そして、当時まだまだ水も下水道も復旧していなく、近隣の方のためにもと用意した「仮設トイレ」
愛知県時代のつながりで、用意していただき自分で運び設置。それも新品同様の水洗トイレです。
そして欠かせない「水」。そのためのポリタンクも新品でたくさんの支援。
CAMP宿ゲストさんで阪神淡路を経験されてる方からは、トイレットペーパー、衛生用品など。
全国につながりを持っていたこと、宿をやっていたこと、本当に良かった。
ここで支援物資を送る時に気をつけること。
「被災地だからこそ新品、綺麗なもの」「被災地だからこそ食品は気をつけて」「種類別で箱詰めして、箱の中身の表記を」
賞味期限が過ぎたもの、ゴミのような服、中身のわからないごちゃ混ぜの中身を分別し疲弊する被災者。
「なんでもいいだろう」なんて思わないで。それ以上被災者を傷つけないで。
本格的に再建に入ったのが、水も電気も復旧した4か月後だったと思います。
まずは、シートが被った屋根の修理。金銭的な問題もあり、重たい「棟瓦」にせず板金で。
下の写真は、家族でやった応急処置のブルーシート。棟瓦の土散乱してます。
そしてなんとか梅雨入り前にはと、かなり無理をして施工した屋根。なかなかの出来です。
当時ここまで直したのは、我が実家ぐらいでしたね。
1年以上たった今でも数多くのブルーシート屋根が見受けられます。あれから1年以上です、様々な事情で。
そしてこの時、僕は初めて「救急車」のお世話になりました。
当時往復14時間の道のりの日帰り作業の連続、町の姿、犯罪。。
そんなことを見て、聞いて、感じての中のストレスと疲れでした。
その後の作業は、水も電気も復旧したので壊れた実家で寝泊まりしながらの作業としました。
洗面脱衣場と隣接する古い家によくある小便器のトイレの壊れた壁を解体して。
途中のBeforeがこれ
そしてafterがこれ、トイレを洗濯室へと。
傾いた柱、閉まらない掃き出し窓。直します。
Beforeです。ここから思い切ります。
解体後
柱、筋交い、壁を作り、小さい窓にします。
after外観。なかなか良し。
after室内。母が寝てますが、、避難生活から戻してあげて生活しながらのリフォームです。
知らない土地での避難生活で体調を崩すお年寄りがたくさんおります。
その一人でもある母も不便なことを我慢してでも、「珠洲に戻りたい」と、こうなりました。
季節は真夏、暑くて急遽窓用エアコンを付けてあげて就寝中です。
9月中旬の我が実家の外観。
やることたくさん、問題山積み、お金もかかる。
けど、前を向いて未来に向かってと。
少しずつ少しずつ着実にやってました。
これから、中津川にいったん戻った数日後の2024年9月21日。
「令和6年奥能登豪雨」
実家は浸水しました。全てのものが泥水に浸かり、全てのもの、心までも流された。
「二重災害」
ここからのお話はまた次回。
こんなことが起きてしまうんです。
工房KOHARU 大畑賢悟